2008年3月22日土曜日

80年代のサン・ロレンソとインチャーダとインチャス

リベルタの開幕をその日の夜に控えた2月12日付のオレ紙にこんなのがありました。
サン・ロレンソ番の記者エドゥアルド・ベジュックのコラムですが、彼自身おそらく実際にクエルボなので、アスルグラーナの一員として書かれています。

「-前略-我々は降格を経験したが、革命を起こした。カンチャは売却されたが、新しく造った。いつも独力で、しかし連帯して。君は我々がコパ・リベルタドーレスを手にすることは絶対にないと思うのかい?いや、その日は来る。落ち着いて待つんだよ、カラスの兄弟たち。そうしている間に彼女(=コパ)はようやく忘れ物に気付くんだ。我々は優勝への道のりを夢見ている。225年前に南米開放の父シモン・ボリーバルが生まれたカラカスから、100年前にクラブが誕生し、他チームのサポーターを表現上解放したインチャーダがいるボエードへの、凱旋の道のりを。-後略-」

コラム自体はリベルタをメインにしたものですが、ここでの本題は補足要素として触れられている部分についてです。

1979年、クラブ首脳陣は、経済的事情からボエード地区にあったカンチャ"ビエーホ・ガソーメトロ"(当時の呼称は新も旧もないので単に"ガソーメトロ")を売却しました。
そして1981年、我が家を失い他のクラブのカンチャを拝借して闘っていたサン・ロレンソは、ついに2部に降格します。
そこでは優勝して1年で1部復帰を果たしますが、ホームレスの状態は、バホ・フローレス地区に現在のカンチャ"ヌエーボ・ガソーメトロ"を建てる1993年まで、14年間続きました。
サン・ロレンソの100年の歴史において、この時期が最も苦しかった時代といえます。
しかしインチャーダとインチャスは、クラブとチームを支え続けました。

最近出たエル・グラフィコの「サン・ロレンソ100周年記念号」に興味深い記録があります。
2部を戦っていたにもかかわらず、1982年のサン・ロレンソ戦のチケット販売枚数は、1部のどのクラブの販売枚数よりも多く、群を抜いていたというものです。

サン・ロレンソ:1,065,180枚/42試合(25,361枚/試合)
ボカ:859,046枚/52試合(16,520枚/試合)
タジェーレス:622,844枚/56試合(11,122枚/試合)
インデペンディエンテ:616,954枚/52試合(11,864枚/試合)
リーベル:554,311枚/52試合(10,659枚/試合)
べレス:502,808枚/52試合(9,669枚/試合)
ラシン:447,158枚/52試合(8,599枚/試合)

2部が戦場で1部より10以上少ない試合数、しかも前述の通り放浪中の身。
それでも唯一の100万枚突破。
このことは、サン・ロレンソのサポーターについて語られる時に挙げられる優れた点の一つ、「何があろうともインチャスが常に愛するクラブの追従者であること」を裏付ける証拠になります。
チームが好調な時はもちろん、「苦境にある時こそカンチャに行って声を張り上げて歌い、応援しなければならない」という思想が、カラスたちの中にはあるのです。
この年、対戦相手がサン・ロレンソをHOMEに迎えた時には、その多くがビッグクラブの箱を借りて対応するほどでした。
もちろん、入場料収入を見込んでのことです。
象徴的なのはティーグレで、彼らは自身のモヌメンタル・デ・ビクトリアではなく、リーベルのモヌメンタル・デ・ヌーニェスを試合の会場に選択、公式収容人数を大幅に上回る7万5千人近いサポーターを集めたといいます。
チケット購入者にソシオの入場者分が加わりますので、「試合が行われたすべてのカンチャのキャパがサン・ロレンソにとっては小さかった」とするエル・グラフィコに嘘はないでしょう。

それから、サン・ロレンソのサポーターが有するもう一つの優れた点が、「他チームのサポーターを表現上解放したインチャーダ」です。
つまり、今のアルゼンチンの応援スタイル(=ブラジルを除く中南米各国で繰り広げられている応援スタイル)を創始・確立したインチャーダが私たちにはあります。
そしてここでもまた「80年代」です。
昨日のアルセナル戦の帰途、ポトシ遠征で知り合った友人アンドレスの車で高速を走っている最中に、警察車両に囲まれながら移動するインチャーダ"ラ・ブテレール"のミクロに出くわしました。
この時アンドレスはポツリともらします、「お前は知らないと思うけど、80年代のインチャーダは本当にすごかった」と。
当時のことなど想像するしかない私にとっては今でも世界に誇れるインチャーダですが、彼によると、サン・ロレンソのサポーターが現在アルゼンチン他で定番となっている応援歌を次々に生み出していたのが80年代で、迫力も今の比ではなかったのだそうです。

その当時、サポーターがクラブを熱く支えていなかったらどうなっていただろうか。
優勝争いに絡まなくなっただけでカンチャに足を運ぶ人が激減する他のビッグクラブのサポーターのように見捨てていたら。
1部にすぐに戻れていただろうか?
新しいカンチャは建設されていただろうか?
何よりクラブ自体が存続していただろうか?
ラシンのように株式会社になっていただろうか?

時代は変わりました。
経済崩壊・物価の高騰・娯楽の多様化・止まらない暴力等々さまざまな理由から、普通の試合でカンチャが満員になることはなくなりました。
これはアルゼンチンサッカー全体に言えることで、残念ながら、サン・ロレンソも例外ではありません。
しかし、自己比較では80年代が頂点だったとしても、私たちが現在でもよそのサポーターを凌駕していることは紛れもない事実。
インチャスは引き続き我慢強い追従者で、インチャーダも応援歌を生み出す伝統を引き継ぎこの世界をリードしている。
他者に勝っている以上、あとは自分との戦いに勝利するだけです。
かつての状況を取り戻して、窮地からクラブを救った80年代のサポーターに恩返ししなければ。